コラム

オープンワールドと従来のゲームの考え方の違い

オープンワールドと従来のゲームは前提が違う

海外でオープンワールドが日本に上陸して、一大ブームを巻き起こしていましたが、私は最近まで従来の国産ゲームばかりやっていました。

作りは日本の方が丁寧で面白いんだと、半分意地を張っていましたが友人に勧められて「スカイリム」をやってみました。

「スカイリム」面白いですね。

何で面白いのか疑問に思い、考えてみることにしました。

結論から書くと、オープンワールドと従来のゲームは思想が根本から違うんですよね。そして制作陣がそれを履き違えて作ると大抵は残念な作品になってしまうようです。

従来のゲームは例えると「コース料理」

昔は容量が少なかった

昔のゲームは容量の点からできることが限られていました。ファミコン初のRPG「ドラゴンクエストⅠ」では容量を節約するため様々な試みが行われたのは有名な話です。

容量が少ないから、アクションの数の制限するしかありませんでした。アクションが増えれば画像も増やし効果音も増やす必要があるからです。昔のマリオはジャンプとファイヤーボールしかできませんでしたよね。

容量の少なさをやり応えや難易度でカバー

それでも面白かったのは制作者が工夫してやり応えや難易度を調節したからです。

「ドラクエⅠ」では敵の戦闘ルーチンが単調ということで、直前に全ての戦闘ルーチンを見直したと話を聞いたことがあります。

「マリオ」は1-1から段階を踏みながらアクションを覚えて、徐々に難しくしています。ゆっくり1匹で歩いてくるクリボーをジャンプで踏むことで敵の倒し方を覚え、段差をジャンプで飛び越していくわけです。

この頃のゲームは制作者が意図した動きを、プレイヤーがすることでゲームを楽しんでもらうという前提があるのです。

容量が増えても、根本の考え方は同じ

容量がどんどん増えいき、「ドラクエⅠ」では64KBしか使用できなかたのがどんどん増えていき、PS2の「ドラクエⅧ」では4.7GBとなりました。

約74,000倍と途方もない増え方になっており、次の世代のPS3では何でもできるようになっています。

敵に毒や麻痺といった異常状態をすることもできますし、映像も迫力のある3Dにするとか、FF10のスフィア版などレベル制以外のキャラの成長方法もでてきました。

しかし制作者が考えている遊び方は昔と変わっていません。プレイヤーは制作者が意図するように攻略するように難易度調整がされており、抜け道などは基本塞がれています。

抜け道は「ミス」「バグ」がほとんどで、それをするとゲームプレイに支障が出る物もありました。

スターオーシャン2ではラスボスを麻痺させることができるので有名ですが、逆に言うとラスボスは基本状態異常が無効が当たり前であり、それを前提に多くのゲームは難易度調整されています。

FF5はその難易度調整が絶妙であり、レベルを上げてもゴリ押しでは勝てませんが、制作陣の意図するように戦うと低レベルでも勝てるようになっており、ある種の芸術です。

海外でオープンワールドのゲームが出てくるまでは、制作者が意図した方法で遊ぶのが前提の作りでした。

例えるならシェフが決めた料理を順番に食べていくコース料理です。

シェフが決めたとおりに食べていくのがマナーであり、それが一番おいしい食べ方(楽しみ方)なのです。

オープンワールドは例えると「バイキング料理」

オープンワールドゲームは何でもできる

一方でオープンワールドのゲームは何でもできます。チュートリアルが終わったら村人のアドバイスに従って、簡単な所から遊んでもいいし、最初からラスボスを狙いに行ってもいい。

それどころか世界を救わずに、延々と商人としてお金を稼ぐのもありですし、職人として素材を手に入れながら最高の武具作りを目指してもいい。

従来のゲームは容量が増えても、プレイヤーには世界を救う選択肢しかありませんでした。初めてオープンワールドのゲームをしたとき、この自由度には驚いたものです。

ボス討伐も毒あり・奇襲ありで・自由度が高い

上でも書きましたが、従来のゲームはボスに毒・麻痺といった状態異常は通用しないのが当たり前であり、奇襲などはできません

オープンワールドでは野草を採ってたくさん薬・毒薬を作り、ボスに毒薬を使うこともできますし、薬をガンガン使って体力回復、能力向上といった物量作戦もできます。

それどころかボスに奇襲して、ダメージを与えたら逃げて、再度奇襲といった卑怯なこともできることがあります。

従来のゲームだったら、「バグ」として修正されるような戦い方ができるのがオープンワールドの特徴です

難易度・バランス調整が困難

オープンワールドゲームの短所として、難易度・バランス調整が困難な所とバグが出やすい所です。

先ほどボス討伐は自由と書きましたが裏を返せば、難易度を決める基準がないということにつながります。

プレイヤーが自由に遊べてしまうため、レベル・装備・道具・プレイヤーテクニックに大きく差ができてしまうため、難易度・バランス調整の基準が大きくずれてしまうのです。

難しすぎたら決まった攻略法をとるしかなくウリの自由度がなくなりますし、簡単すぎたらやり応えがありません。そのため制作者のセンスが非常に重要になります。

オープンワールドゲームを例えるなら、「バイキング料理」です。戦闘・物作り・モーションなど単体でみると、単調であり面白くありません。

しかしバイキング料理は組み合わせて食べることができます。焼きそば+パン=焼きそばパン。かに+チャーハンでかにチャーハン。プリン+醤油=ウニといった外道食いまでできます。

同じようにオープンワールドも組み合わせることによって予想以上に面白くなります。戦闘と物作りを組み合わせてボスを毒でトコトン弱体化させるなど従来のゲームにはない発想です。

日本のオープンワールドゲーム制作でやりがちな誤り

従来のゲームとオープンワールドゲームの違いを書いてきましたが、それぞれが全く違う前提で作られているとことわかったと思います。

従来のゲームは制作者の意図通りに遊んで楽しむ。

オープンワールドはゲーム内の要素を自由に組み合わせて遊ぶ。

この前提を抑えておかないと、中途半端で残念なゲームになってしまいます。

従来のゲーム水準のオープンワールドが作れるか?

ファイナルファンタジー15では従来のゲームと同じ考えでストーリー・戦闘・グラフィック・演出を考え、更にそれをオープンワールドに落とし込もうとしました。

結果は別のページにまとめましたが、非常に惜しい作品となってしまいました。10年以上の超長期間の制作期間をとっていて、一流の技術者がいてもあの作品になってしまったのです。

これは会社・プロデューサー・技術者が悪いという話ではなく、2つの前提を根本的に履き違えた結果です。

世の中に一流シェフが作るバイキング料理を提供するお店はあります。しかしそれは一流シェフのコース料理とは質の水準がかなり劣りますよね。

それはシェフの腕が悪いわけでなく、求めるサービスの内容が違うのだから質が下がって当たり前です。

同じようにオープンワールドゲームに従来のゲームと同じストーリー・戦闘・グラフィック水準を要求するのが無理な話なのです。

「ゼルダ ブレス オブ ザ ワイルド」でさえ、ストーリー・グラフィックがシンプルです。しかし他のバランス調整が非常に丁寧で、考えられていたので名作と言われています。

オープンワールドを作るのなら、従来のゲーム水準で制作するのではなく、ある程度割り切りが必要でしょう。

そしてどの要素を強くするかで面白さが変わってくるのでしょう。

これからの従来のゲームとオープンワールドゲーム

もしかしたらみなさんは、「従来のゲームはいらない」そう思うかもしれません。

ただ従来のゲームにはオープンワールドにはない良さがたくさんあります。

難易度調整がしやすく、初心者でも親しみやすい

オープンワールドはあまりにも自由であるため、初心者は迷いやすく、説明も不十分なことも多いため初心者は遊びずらいです。

一方で従来のゲームなら「カービィ」ように幼稚園児でも楽しめるように簡単でわかりやすいゲームが作れます。

逆にゲーム上級者向けの「女神転生」のような、かなり難しいゲームも従来のゲームでしかできないでしょう。

ゲーム普及の観点から考えれば、従来のゲームは必要です

書籍に負けない、面白いストーリーを作れること

オープンワールドゲームには作り込む要素がたくさんあるため、1つの要素にあまり力を入れることができません。

一方で従来のゲームなら「ゼノブレイド2」のように心情描写に優れたストーリーのゲームを作ることができます。

ゼノブレイド2は人員や期間が足りなくてかなり大変だったと良く聞きますが、それでも素晴らしいストーリー・ムービーができました。オープンワールドゲームであのレベルのストーリー・ムービーは難しいでしょう。

オープンワールドゲームにしかできない遊び方もあれば、従来のゲームでしかできない遊び方もあります。

ブームだからといって全てのゲームをオープンワールド方式にするのではなく、従来のゲームの良さも忘れないで欲しいと思います。

プレイヤーにどんな風に遊んで欲しいのか考えれば、自然とどちらを採用するのかわかると思いますので、1プレイヤーとして今後も面白いゲームを遊べたら幸いです。